Xなどを見ていると「四毒抜き」という表現に抵抗がある方もいるように見受けられます。
例えば、質の高い小麦を作っている生産者もいるだろうし、小麦を心から喜びで楽しんで食べている人もいるし、小麦が体質に影響を与えない人もいると思うので。
私も、小麦は完全に私には合わないとわかっていたものの、最初はある程度小麦を食べていたので、多少「毒」という表現に抵抗があったような気がします。
でも、私にとっては体調に影響を与えるのが四毒で、牛乳などそんなに好きではないものもあったりして、そこまで抜くのにハードルは高くなかった。
だから自然と四毒という言葉は気にならなくなりました。
表現はコンセプトを広めるためのブランディングであり、コンセプトだけありがたく真似させていただいています。
私が考える、四毒についての周りの人との関わり方
私に良いからと言って、全然生き方の方向性が違う人にすすめたり、説明したりする必要はないと思っています。
ここで書いているのも、私の人体実験の記録です。四毒抜きに関心がある方の参考になれば嬉しいという感じです。
成人の食生活は完全なる自己責任。自分の手で口に運んでいるわけで。
家族が作ってくれないのであれば、自分でも作れる。
家族への文句が出てくるというのは、食を通じて依存というものに気づけるチャンスとなり得ます。
もし家族にも同じような食生活をしてもらいたいと願うなら、自分で実験して見せるしかないと私は思っています。
そして、会社でも多少人とご飯を食べたりする機会があります。その場合に説明する時は、グルテンフリーと言っています。お菓子を完全にやめてますとか。毒という表現をしないで食べない選択をしていると説明しています。
会社という組織にはいろいろな価値観の人がいるので、四毒を楽しんでいる人もいるわけで、毒にもなれば喜びにもなる。
なので、私は四毒という表現は親しくない人には使用していません。グルテンフリーは使えます。おしゃれな感じがして曖昧なので(笑)
体調不良で悩んでいると言われたら喜んで四毒抜きを紹介しますけど、人に食について色々言いたくなるのは、自分の中を見つめるサインだと思っています。
私の例だと、この前昼食を自分で持ってくる会に参加した時、参加者の一人の女性がアトピーで、パンを持ってきて食べていました。やめたらいいのに、食べてるから治らないのにって、自分が居心地の良くない感じでとても気になってしまいました。もしかしたらそれも知った上で食べてるかもだし、その方の事情も何も知らないのに。その日に会っただけの方に、とてもジャッジしている自分に気づきました。
食を通じて自分を見つめる良い機会となっています。
私は「四毒抜き」が気に入っているのでどんどん書いていきます!